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 ■■■地形・地質観察ガイド-低山・渓谷地域-■■■
 朝日山 兵越峠〜朝日山
 
 長野・静岡をつなぐ国道152号線は、県境の青崩峠付近がつながっていないので車は東へ迂回し、兵越峠をとおる。ここから東へ県境の深い山々が延々とつづいている。朝日山(1667m)は兵越峠から一番近い低山であるが、高く茂ったササが行く手をさえぎり、たいへん手強い山である。しかしながら、途中の草木川源流の河川争奪地形や至るところにある動物の痕跡など、自然が豊かで魅力的な山である。ここでは兵越峠付近でみられる複雑な地質を紹介し、朝日山へのコースを紹介しよう。ただし、途中ガレ場や猛烈なササの藪漕ぎがあることを覚悟してほしい。

■赤石構造帯最北部は様々な岩石のはきよせ地帯

■此田の地すべりと古期花崗岩

■柱状節理をもつ石英斑岩と和田層

■草木川沿いの露頭と河川争奪

■猛烈なササ藪と動物の天国

▲自然が豊かな朝日山
 


 

■赤石構造帯最北部は様々な岩石のはきよせ地帯 

 中央構造線のとおる青崩峠から光明断層(遠山赤石構造線)のとおる兵越峠にかけては、西から三波川帯、遠木沢層の礫岩(新生代新第三紀)、古期花崗岩(古生代二畳紀)、石英斑岩、和田層(新第三紀中新世)、秩父帯が南北方向の断層に境されてレンズ状に分布している。このような複雑な配置は、遠山〜水窪以北の中央構造線と、この南への延長である光明断層および赤石裂線(水窪赤石構造線)が、大規模な左横ずれ断層運動を行った際に、できた構造と考えられている。まるで、様々な岩石がはきよせられたようだ。
 
▲伊那谷では最も古い花崗岩

■此田の地すべりと古期花崗岩 

 此田の集落のあるところは、三波川の地すべり地帯だ。地すべり地は傾斜が緩くなっていて、土壌化も進んでいるため耕作しやすい土地条件をもっている。しかし、いったん地すべりが発生すると家屋や道路などの構造物が壊れてしまう。最近、地すべり防止対策として、水抜きのための巨大な集水井が掘られた。
 此田から林道を2kmほど南下した林道沿いには花崗岩が露出している。この花崗岩はさらに南方の青崩峠に向かう林道沿いでも露出している。この花崗岩は放射年代測定によって古生代二畳紀(2億5千万年前)であると報告された。これは中央構造線の北西側に分布する領家花崗岩類よりもずっと古く、関東山地北縁部の花崗岩や四国の黒瀬川帯(秩父帯中帯)の花崗岩と同じ年代だ。この古期花崗岩はさらに南方の草木トンネルの工事でも現れた。
 
▲此田の集水井

■柱状節理をもつ石英斑岩と和田層

  兵越峠付近には幅300mほどで南北方向に石英斑岩が貫入している。兵越峠の南西の林道沿いでは、みごとな柱状節理が観察できる。青崩峠へ向かう尾根沿いの山道でも、六角柱状に割れた石英斑岩が足下に転がっている。
 峠のすぐ東側には和田層の泥岩が分布している。この泥岩は、割れ目が多くてガサガサとしている。和田層からは新第三紀中新世(約1800万年前)の放散虫化石がみつかっている。放散虫化石は変形していて、強い力で和田層全体が圧縮されたことが分かる。
 
▲石英斑岩の柱状節理

■草木川沿いの露頭と河川争奪 

 兵越峠から東へ草木川源流へ伸びる林道を行くと、泥岩・砂岩以外に、チャート・緑色岩・石灰岩が現れる。泥岩やチャートから、白亜紀の放散虫化石がみつかっている。
 しばらく、V字状のりっぱな谷地形がつづくが、草木川の水は枯れてしまう。さらに進むと、左岸側が急に明るくなり、林道は尾根を回り込むようにUターンする。ここで、林道から離れて小道をさらにまっすぐいくと、急に目の前に白倉川へ落ちる崩壊地が現れる。手前の平坦地には大きな礫がゴロゴロしており、草木川は上流域を奪われた首無し川であることがわかる。
 崩壊地の向こうには谷地形がつづいているが、この谷はかつては草木川の上流だった。ところが、南から白倉川の支流の谷頭侵食が進み、草木川上流部を奪ってしまったというわけだ。同じ様な河川争奪の現場は、さらに上流にもう一ヶ所ある。
 
▲河川争奪の現場

■猛烈なササ藪と動物の天国

 ガレを注意深く巻いて、切り離された上流の谷へでる。この谷はきれいな水が流れていてたいへん美しいところだ。この流れをさか登ると再び崩壊地にでる。ここから朝日岳は目と鼻の先ほどだが、山道はほとんど分からないので、方角の見当をつけて尾根に上がり山頂へつめることになる。この間、背の丈以上に生い茂ったササ原の猛烈な藪漕ぎとなる。ササが低くなっているところでは、ササや針葉樹の幹にシカの食痕やフンがいたるところでみられる。
 
▲シカにかじられた跡