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 ■■■地形・地質観察ガイド-高山・主稜線地域-■■■
 甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根〜甲斐駒ヶ岳〜北沢峠
 
 甲斐駒ヶ岳(2967m)は南アルプスの北端に白いピラミッドのようにそびえている花崗岩の山だ。北東側の八ヶ岳山麓から眺めると、釜無川を隔てて南アルプスの急崖がせまってくるが、その中にひときわ目立っているのが甲斐駒ヶ岳だ。黒戸尾根はこの急崖を甲斐駒ヶ岳山頂まで突き上げている。壁のように連なる早川尾根をさらに東へ追うと、甲府盆地の向こうに富士山がみえる。この雄大な景観は、南アルプスがフォッサマグナ西縁を画する断層、糸魚川−静岡構造線によってすっぱりと切られたためにできた。フォッサマグナとは、明治政府のお雇い学者エドモンド・ナウマンがこの地を訪れて名づけたもので、大地溝帯を意味している。甲斐駒ヶ岳は、南アルプス林道が開通した今では、北沢峠から登る人がほとんどだが、かつては多くの登山者が、この壁のように急峻な黒戸尾根を登っていた。ここではこの黒戸尾根から山頂に登り、仙水峠をへて北沢峠へ至るルートを紹介しよう。

■白い大きな長石をもつ花崗岩

■花崗岩の造形美を楽しむ 

■御来迎場から山頂の高山景観

■白い砂と岩からなる山頂 

■花崗岩とホルンフェルスの境界 

■仙水峠の風隙と岩塊斜面 

▲摩利支天からみた甲斐駒ヶ岳
 


 

■白い大きな長石をもつ花崗岩

 登山口の竹宇駒ヶ岳神社に入ると、暗い樹林の中に高さ数mにも及ぶ花崗岩の巨礫が転がっている。形がいろいろで根がないことから尾白川から運ばれてきたことがわかる。石仏をのせた巨礫のところから吊り橋を渡る。吊り橋から眺めると尾白川の白い河原がとてもまぶしい。上流には不動滝などの美しい滝がある。
 右岸側の登山道沿いには花崗岩がたくさん転がっているので、観察してみよう。白くて大きな鉱物は長石だ。大きなものでは5cmにもなる。その他に黒っぽい黒雲母と角閃石、灰色の石英が含まれている。これらの鉱物はせいぜい1cmの大きさしかない。この花崗岩を甲斐駒−鳳凰花崗岩という。花崗岩はしばしば岩相を変えて、細粒となったりしている。ときどき黒っぽい岩石が転がっているが、これは花崗岩よりも前に貫入していた岩石だ。
 
▲長石が目立つ甲斐駒−鳳凰花崗岩

■花崗岩の造形美を楽しむ

 急斜面をジグザグに登り、山腹をトラバースして広い尾根を登るようになると、コケと樹林の中の気持ちのいい道となる。横手駒ヶ岳神社からの道を合わせ、八丁坂を登ると巨礫が現れ、尾根はしだいにやせてきて、刃渡りと呼ばれるナイフリッジが現れる。尾白川の急斜面は花崗岩が片理面に沿ってはがれている。一方、大武川の急斜面は小断層もしくは節理面によって切られているようにみえる。ここからしばらく花崗岩の造形を楽しみながら慎重に登ろう。
 連続した梯子を登りきると祠や石碑がならぶ黒砥山の刀利天狗にでる。ここから再び樹林帯を行き黒戸山の北斜面をまくと、足下に五合目小屋がみえてくる。このすぐ先に廃屋と化した屏風小屋がでてくる。この背後にそびえる岩が屏風岩だ。梯子とクサリを使って慎重に登る。足下にはときどき風化して母岩から脱落した、長石の大きな結晶が落ちている。クサリ場がなくなると、七丈第一小屋が現れる。
 
▲梯子とクサリがつづく屏風岩

■御来迎場から山頂の高山景観 

 石の鳥居までくるとハイマツがでてきて、まわりは急に高山景観をみせるようになる。同時に地形がますます急峻になり、右側には黄蓮谷源頭の岩壁がみえている。この岩壁は花崗岩の節理がはがれてできた。岩壁の向こうには黒っぽいホルンフェルスからなる鋸岳が姿をみせている。左側に目を移すと、早川尾根の末端には地蔵岳のオベリスクが確認でき、その先に富士山がある。早川尾根の向こうには北岳が頭をみせている。後ろを振り返れば、フォッサマグナに噴出した八ヶ岳火山が広大な裾野をひろげている。もちろん正面には、甲斐駒ヶ岳山頂と摩利支天がまわりを圧倒してそびえ立っている。
 左手に赤石沢の岩壁をみながら、花崗岩の岩稜を登っていくと、右手前方に天を突く鉄剣を頭にのせた岩塔が現れる。摩利支天が下の方にみえてくると、頂上は間近だ。赤く酸化した花崗岩を足下にみて、さらに登り北沢峠からの道を合わせると山頂の石の祠にでる。一等三角点の山頂からは、雄大な展望が得られる。
 
▲節理をもつ花崗岩と鋸岳(右上)

■白い砂と岩からなる山頂 

 山頂付近は花崗岩が風化してできた白いマサ(真砂)が岩塊を覆っている。太陽がでているとマサの白さがまぶしいくらいだ。手に取ってみると白い長石と灰色の石英、黒っぽいペラペラした黒雲母などが区別できるだろう。少し赤いのは鉄分が酸化しているためだ。マサ化していない岩も表面はボロボロとなっていることが多い。風化が進行している証拠だ。
 高山では風化だけでなく、風雨による侵食も著しいので、マサは流されやすい。それをくい止めているのがハイマツだ。ハイマツは岩の隙間に根を張り、白い砂と緑の美しいコントラストをつくっている。
 北沢峠へ下りはじめるとすぐに摩利支天の分岐にでる。荒々しくみえる摩利支天も北西側からは尾根上のこぶのような突起にみえる。ここへは垂直に落ちるコル(鞍部)を南側から巻いて登る。
 

 
▲山頂のマサと摩利支天

■花崗岩とホルンフェルスの境界

  分岐まで戻り、山腹をトラバースして稜線へ向かうと、花崗岩の節理に沿って割れ、巨大なそろばん玉の形の六方石が現れる。これを過ぎてやせた尾根をすこし進むと、足下の岩の色が急に黒っぽくなる。地質が花崗岩からホルンフェルスに変わったのだ。この地質の境界は南北方向に伸びて、南へは早川尾根の大武川よりを通り、高嶺の東側で尾根を越える。北へは六合目石室付近を通り、稜線を越えて、尾白川源流を通っている。この境界線の東側に甲斐駒−鳳凰花崗岩体が地下深くから上がってきたわけだ。時代は1100〜1300万年前の頃とされている。駒津峰から地質境界を遠望して、大地の成り立ちを考えてみよう。
 
▲花崗岩の岩塔、六方石

■仙水峠の風隙と岩塊斜面 

 駒津峰から仙水峠に降りると、左手の水晶谷側が深く切れていて、対岸に摩利支天が目の前にそびえている。一方、右手の北沢側は沢筋が峠から緩やかに下っているが、水もないのに大きな谷地形となっている。このように上流部をなくした川を「首なし川」といい、切断された地点を風隙という。仙水峠の風隙は、大武川側の水晶谷と野呂川側の北沢との侵食速度の違いによって起こった河川の争奪が原因である。つまり、もっと西へ伸びていた北沢の上流部を、大武川が南から侵食してしまって、深い水晶谷をつくってしまったのだ。その証拠に、現在の北沢の流域には花崗岩が分布していないのに、花崗岩の礫がたくさん転がっている。
 北沢峠を下りはじめると、岩塊斜面が広がっている。岩塊は直径数10cmから数mの大きさで、すべてが角張ったホルンフェルスだ。岩塊は広大な緩やかな斜面をつくっていて、上部は樹林に覆われている。
 岩塊斜面はどのようにしてできたのだろう。岩塊には地衣類がびっしりついているので、最近できたものではないことが分かる。仙水峠の岩塊斜面は、ホルンフェルスという固い緻密な岩石が、氷河時代の強い凍結破砕作用のもとで砕かれて、これが斜面を覆ってできたらしい。ちょうど、氷河時代の山の景観をそのまま再現しているという研究者もいる。
 
▲岩塊斜面と摩利支天