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 ■■■地形・地質観察ガイド-高山・主稜線地域-■■■
 北岳 両俣小屋〜三峰岳〜間ノ岳〜北岳〜広河原
 
 北岳((3192m)・間ノ岳(3189m)・農鳥岳は白根三山と呼ばれ、南アルプスで最も隆起した地域だ。この山域から三峰川・大井川・富士川の3つの河川が流れ出ている。標高が高いだけでなく、地形的に奥深いところに位置しているため、南アルプスでは一番早く冠雪し、遅くまで残雪が残っている。伊那谷や甲府からも、高い前山のさらにその奥に、白い神々しい姿をみせている。芦安村から長いアプローチをたどって山頂にたったウェストンの頃とは異なり、北岳だけなら今では日帰り可能な山になってしまった。しかし昭和57年10号台風のような自然の猛威は、昔も今も変わらない。むしろ開発の進んだ現在では、より大きな被害がでてしまうだろう。ここでは、広河原から野呂川沿いに歩き、両俣小屋から三峰岳へ登って間ノ岳と北岳をたどるルートを紹介しよう。

■野呂川沿いの砂防事業と両俣小屋

■野呂川越から三峰岳

■間ノ岳の線状凹地

■中白根山から北岳の地質

■大樺沢とバットレス

■山頂から肩ノ小屋経由で白根御池へ

▲早川尾根からみた北岳と間ノ岳
 


 

■野呂川沿いの砂防事業と両俣小屋

 夜叉神峠をトンネルで抜けると、野呂川の谷越しに南アルプスの主稜線が目の前に広がる。ここから広河原までの道は、四万十帯の脆弱なスレートからなる断崖絶壁につけられていて、常に補修が必要な区間だ。
 広河原につくと、ここからは野呂川沿いに南アルプス林道を歩く。北沢出合いまではバスを利用することもできる。途中、野呂川の砂防ダム群がいかめしい。
 野呂川を含む早川流域は、昭和34年の伊勢湾台風以来、建設省(現国土交通省)直轄で砂防事業がすすめられてきた。しかし、南アルプス林道が開通した翌年の昭和57年には、至る所で崩壊が発生し、林道は回復不能とまで言われた。広河原では、駐車してあったたくさんの自動車が被害を受けた。両俣小屋では、登山者と管理人41名が閉じこめられ、その教訓が小屋番の星野さんによって『41人の嵐−1982年台風10号の一記録』にまとめられている。直接、星野さんから災害時の貴重な体験談を聞くといいだろう。
 
▲野呂川の巨礫と両俣小屋

■野呂川越から三峰岳

 信州の猟師が野呂川へ越えた峠が、野呂川越である。峠に登る途中に石灰岩の巨岩が立ちはだかる。この石灰岩は、もともと泥岩中にブロックとしてはさまれていたものだが、侵食に抵抗して地表から姿を現したものだ。
 峠から静かな仙塩尾根をたどり、ハイマツが現れるようになると、三峰岳はもうすぐだ。東側は野呂川上流の右俣沢で、源流はきれいなカールとなっている。
 三峰岳の山頂には緑色岩の大きな岩塊が積み重なっている。この付近には巨石が多く、三国沢源頭の三峰岳東俣カールにも巨石が累々と堆積している。ここでは、岩塊の隙間に氷が発達し、あたかも氷河のように流れ下る岩石氷河があったとされている。三国平周辺では岩塊斜面が発達していて、今でも下方へ移動している舌状堆積体(ソリフラクションローブ)がみつかる。
 
 
▲三峰岳と岩石氷河跡

■間ノ岳の線状凹地

 三峰岳からやせた尾根を登っていくと、突然尾根が広くなり、間ノ岳山頂の一角にでる。南側の緩やかな斜面には複数の線状凹地がみつかる。特に、農鳥小屋との中間地点では、広い稜線と平行した線状凹地がみごとに発達している。線状凹地はかつて雪窪と呼ばれ、雪食の結果できたものとされた。しかし、今では多くが地すべり性の正断層活動によってできた地形とされている。
 地形学者の中には、どっしりとした間ノ岳の標高が3189mで、隣の北岳よりもわずかに3mだけ低いこと、さらに富士山はこの1万年間に高くなった山であることから、最終氷期(1〜8万年前)の頃には間ノ岳が日本一の山だったと考える人もいる。確かに広い山頂部と数多くの線状凹地の配列から、断層でずれ落ちた部分を元に戻すと、かつてはもっと標高が高かったにちがいない。
 
▲間ノ岳の多重山稜

■中白根山から北岳の地質

 中白根山から北岳にかけて四万十帯白根層群の緑色岩・チャート・泥岩が分布している。緑色岩やチャートは大きさがさまざまで、北岳山頂付近の厚さ数100mに及ぶ大きなものから、小さなものでは泥岩中にレンズ状に取り込まれている1cm以下のものまである。これらは、もともと大陸からずっと離れた赤道付近の海で生まれた火山島の一部であったり、深海底に静かに降り積もったマリンスノーが固まったものだ。残念ながら、北岳周辺のチャートからは微化石がみつかっていないが、赤石岳よりも南では主稜線付近から1億年前の放散虫化石(プランクトンの一種)がみつかっている。この付近は山脈をつくるときの変形が特に著しくて、放散虫化石はほとんど表面が溶けてしまったり、つぶれてしまっている。泥岩も同様に変形していて、ペラペラはがれる性質をもつようになり、割れた面には雲母が配列してテカテカと光っている。赤石山地以南の泥岩と比べてみると、その違いが明瞭に分かる。
 緑色岩やチャートは風化や侵食に対して抵抗性をもっているため、まわりの地質から突出しやすい。そのため北岳は尖鋒をつくっている。砂岩や泥岩からなる間ノ岳は、なだらかな形をしていて北岳とは対照的であるが、この形の違いは地質によるものだ。
 北岳付近には石灰岩をときどき挟むようになり、そこには固有種キタダケソウが生育している。北岳は稜線付近一帯が緑色岩や石灰岩・チャートなどの地質からなるため、カルシウムやマグネシウムの多い土壌が形成される。そのため他の植物が進出しにくく、特異な植物が残存しているのだろう。
▲間ノ岳からみた北岳

■大樺沢とバットレス

 バットレスを眺めるには、八本歯の頭が一番だ。八本歯のコルから大樺沢左俣を降りる前に寄り道しておこう。ただし壁が東を向いているので、午前中でないと逆光になってしまう。
 北岳東面の岩壁には、それを支えるような岩稜が発達しているので、バットレスと呼ばれている。この名称はウェストンが「極東の遊歩場」ではじめて使ったらしい。バットレスとはもともと建築用語で、壁を支えるように張り出した控壁のことである。多くのロッククライマーが取り付いている第4尾根は、チャートの岩稜だ。
 八本歯のコル付近は劈開の発達した泥岩(スレート)と砂岩からなっていて、突出部はだいたい砂岩だ。劈開、つまり割れ目の方向はちょうど大樺沢の方向と一致しているのが分かるだろう。大樺沢は地質的に弱いところを流れているわけだ。
 大樺沢は今でも雪渓で有名だが、氷期には白い氷河が流れていたらしい。ときどき擦痕のついた羊背岩らしき岩がみられる。
 
▲池山尾根からみた北岳

■山頂から肩ノ小屋経由で白根御池へ

 山頂から小太郎山への分岐までは、白は石灰岩、緑は緑色岩やチャート、赤はチャートや頁岩、黒は泥岩と、色とりどりの地質の変化を楽しむことができる。これらの岩石は、8000万年前、プレートの沈み込みの際に、海洋プレートから引き剥がされた大きなシートだ。現在でも西南日本の太平洋側の海溝下で起こっている地球規模のダイナミズムが、ここでは実際に手に取ってみることができる。
 樋状となった草すべりをおりると白根御池につく。白根御池は中腹のわずかな平坦面にできた不思議な池だ。なぜこんな中腹に池ができたのだろう。白根御池をのせた平坦面は等高線方向に続いているようにみえる。重力性の正断層にそってできた線状凹地に、水がたまったのかもしれない。
 
 
▲草すべりからみた白根御池