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 ■■■地形・地質観察ガイド-低山・渓谷地域-■■■
 大井川曲流 接阻峡〜奥泉〜寸又峡、沢口山
 
 大井川は掘り込み蛇行による曲流が著しい河川だ。接阻峡から千頭にかけてと、鵜山の七曲がりがとくに著しい。曲流する弧の内側にあたる滑走斜面には、いくつもの段丘ができている。くびれたところがショートカットすると、旧河道と環流丘陵が残される。このような段丘や放棄された旧河道は、現河床よりも常に高い位置にあるが、これは隆起する大地を川が侵食した結果だ。ここでは接阻峡から奥泉にかけての大井川と、寸又川下流域の曲流を紹介し、寸又三山の一つ沢口山(1424m)を案内しよう。

■接阻峡の環流丘陵

■長島ダムと沈んだ集落

■奥泉の旧河道

■寸又川の環流丘陵と旧河道 

■寸又峡から沢口山

▲ダム湖に沈んだ接岨峡と奥大井湖上駅
 


 

■接阻峡の環流丘陵 

 接阻峡の一番奥深い集落が間蔵だ。大井川鉄道の間蔵駅はまさに放棄された旧河道にある。この付近では標高600mほどのところに、いくつもの旧河道が残されている。現在の大井川の河床は、旧河道よりも約80m下を流れている。民家は環流丘陵の日当たりの良い尾根沿いに建てられていて、緩やかな斜面や旧河道は茶畑となっている。
 
▲新接岨大橋からみた曲流と集落

■長島ダムと沈んだ集落 

 長島ダムは平成13年に竣工した高さ109mの重力式の巨大なダムだ。このダムによって長島、犬間、唐沢の集落が水に沈んだ。同時に、大井川鉄道も付け替えられ、ダムによってできた標高差を、アプト式の歯車によって強引に登ることになった。
 ダムの貯水によって水位が上がると、斜面表層が崩れやすくなる。そのため、梅地の対岸などの斜面はコンクリート法枠で厳めしく覆われている。
 
▲2001年に完成した長島ダム

■奥泉の旧河道 

  奥泉には高さの異なる2つの旧河道が残されている。集落は下位の旧河道と段丘沿いにできていて、上位の旧河道は植林地となっている。
 民家は大井川に面した段丘に発達し、旧河道は民家に近いところから畑、茶畑、ヒノキの植林地として利用されている。最近、サルの群が降りてきて畑を頻繁に荒らるようになったという。
 この環流丘陵と旧河道をぐるりと巻くようにして寸又峡へ行く道がつけられている。これを登っていくと、植林された旧河道が再びでてくる。標高は570mなので、現河床との標高差は実に200mにもなる。
 尾根を越えると寸又川流域にでる。
 
▲茶畑に利用されている旧河道

■寸又川の環流丘陵と旧河道 

 大井川支流の寸又川にも曲流が発達していて、池ノ谷にはみごとな環流丘陵と旧河道が残されている。寸又川は大井川に比べて流量が少ないために、曲流の地形が小規模である。
 池ノ谷は、環流丘陵が大小2つに分かれていて、その間に池ができている。日当たりが良く、水はけの良いところに民家があり、旧河道沿いや丘陵のゆるい斜面は茶畑やキャンプ場として利用されている。
 
▲池ノ谷の環流丘陵と旧河道

■寸又峡から沢口山

 寸又峡温泉は寸又川の旧河道にできた温泉街だ。ここから日帰り可能な朝日岳、前黒法師岳、沢口山を寸又三山と呼んでいる。沢口山へは温泉街の西のはずれからスギの植林地をのぼる。途中の富士見平と山頂では、木々が切り払われているので、展望はたいへんよい。富士見平から北東へのびる尾根を下ると、昔の森林鉄道の軌道敷跡にでて、温泉街の南にでる。
 
▲沢口岳の三角点