信濃桜とシダレザクラ

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飯田ではシダレザクラが見頃を迎えています。

柳田国男は『信州随筆』の「しだれ桜の問題」のなかで、南北朝期の公家の日記を引用しながら京都の公家などの邸宅に植えられていた「信濃桜」と呼ばれていた桜が「糸桜」、つまりシダレザクラであったことを指摘しています。

また、江戸時代の随筆『松屋筆記』に記された飯田の普門院、山本村の陣屋のシダレザクラや、大きなシダレザクラが寺社に植えられていることに注目して、「単なる珍奇をめでる心以外に、何かその背後に之を重く見なければならぬ、古来の感覚が有つたのではないか」と述べています。

「人に助けられて広く旅行をした」花へと思いをはせる、そんな花見もいかがでしょうか。

(民俗担当)

 

飯田城の跡で大名行列

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昨日から明日にかけて七年に一度の飯田お練りまつりが開催されています。今日は美博でも本町三丁目の大名行列が披露されました。

現在の本館はかつて飯田城のあった場所に立ち、本年は堀氏が飯田藩主となって350年の節目の年。この大名行列は飯田藩のものではありませんが、飯田に入ってくるお殿さまの姿を思い浮かべてしまいました。

また、豊丘村河野の獅子舞も。

コロナ禍、雨の中ではありますが、七年に一度の大祭。町のにぎわいが感じられます。

(民俗担当)

 

昭和7年のお練りまつり

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飯田市銀座町二丁目のタケウチ酒店さんが提供してくださった昭和7年のお練りまつりの写真を紹介します。

一枚目は、同店の前で、おそらく飯田の芸妓たち思われる女性たちが、囃子屋台を連れて踊っているところです。大火前の銀座通りの雰囲気が分かり、とくにすずらん型の電灯が目につきますね。


次の写真は東野大獅子を撮影したもの。大勢の観衆に取り囲まれています。


三枚目の写真には「飯田駅通/万国国際踊」とメモ書きがあります。

昭和7年のお練りは、前年10月に起きた満州事変を受け、中止案も出たなかで商工会議所の後押しにより開催されたといいます。また「国運伸展ノ祈願祭」として行なったそう。真ん中のチャップリンと思しき人は何を意味してるのでしょうか。

(民俗担当)

ロビー展「飯田お練りまつりと御柱祭」開催中

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7年に1度の「飯田お練りまつり」がいよいよ今月末に迫っています(25から27日まで)。
6日にまん延防止装置が解除され、7日にはお練りの期間中、長野県の感染警戒レベル5の場合での開催が決定されましたが、まだまだ油断のできない状況です。無事開催されることは祈るばかりです。

さて、本館でもお練りまつりにあわせて、今週からロビーでお練りまつり、また本年開催予定の御柱祭の歴史について、パネルや古写真で紹介した展示をおこなっています。

歴史のもつ重みと共に、時代と共に移り変わってきたことを知ってほしい、というのが担当者の思いです。

ロビーへの入場は無料ですので、お練りを、安富桜を、見に来られた方はぜひお立ち寄りください。

(民俗担当)

自然展示室「季節のパネル」を3月版に更新しました。

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2022年3月のパネルは、オウレンをとりあげました。
セツブンソウなどと並んで、もっとも早くに開花する早春の花です。

去年のような暖冬の年だと3月あたまには咲いていましたが、今年はどうでしょうか?
桜も今年の開花は4月に入ってからかもしれませんね。

四方圭一郎(自然担当)

自然担当もどき

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先日、遠山谷の北部を歩きながら見つけたのが写真の「カヤクグリ」。夏は高山帯に住み、冬は里に下りてくる鳥です


と、隣の隣に座る鳥の専門家に教えてもらいました(笑)。本館では自然と自然の知識も身につきます。

ちなみに、日本国語大辞典によれば「カヤクグリ(茅潜)」は、室町時代の国語辞書に出てくる名前で、好んで草の間を潜ることから「かやくき」という異名もあるそう。誰がこんな名前をつけたのでしょうか。

そして「カヤクグリ」のように柔軟に生きたいと思うのでした。

(民俗担当)

【2/11から開館します】美術博物館でのさまざまな学習

ブログ 今日の美博

美術博物館の1月~3月は、市民の学や研究の成果を発表す場となっています。本年度も「藤本四八記念小中高校生写真賞作品展」や「子ども美術学校作品展」「びはく学芸祭」など予定していましたが、コロナウイルス感染防止のため休館となってしまいました。

ようやく2月11日(金)より開館することになり、これらの展示をご覧いただけるのですが、多くが2月13日(日)までの予定でしたので、わずか3日間しか期間がございません。そこで一部の展示については会期を延長します。

さまざまな世代が、さまざまなことを学び、発表する。観覧を再開する美術博物館で、豊かな学びの姿をぜひご覧ください。

各展示については、それぞれの案内をご覧ください。

「子ども達の名画鑑賞学習展」

「藤本四八記念小中高校生写真賞作品展」

「子ども美術学校作品展」

「びはく学芸祭」

(美術部門 槇村洋介)

子ども達の名画鑑賞学習展

インフォメーション ブログ 今日の美博

感染警戒レベルが引き上げられたことをうけて、飯田市美術博物館は1月11日からしばらく臨時休館していました。

この臨時休館期間に、会期がほとんど重なってしまった

     複製画でみる春草の名画
―子ども達の名画鑑賞学習展―

から、子ども達の名画鑑賞学習展の内容をご紹介します。

本展示では、昨年秋に開催した 没後110年特別展「菱田春草-故郷につどう珠玉の名画-」 の際に、地域の子ども達が鑑賞し学んだ様子をご紹介しています。

子ども達が、飯田ゆかりの画家である菱田春草の名画と出会い、感じたことを表現した成果を、web上ではありますがお楽しみください。

 

当館は2月11日に再開します。菱田春草記念室での展示は2月13日で終了しますが、この会期後の2月19日~3月21日に、美術博物館のロビーにて、形をかえて展示します。ぜひご覧ください。

①学校団体の展覧会鑑賞支援


②中学生ワークショップ≪雨中美人≫のぬり絵に挑戦

参加者のみなさんの作品と感想




③菱田春草の名画鑑賞作文コンクール


④学校と美術博物館の連携による鑑賞学習

6年生のみなさんがつくったパンフレット

(菱田春草記念室担当)

自然展示室 入り口パネル2月

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1月半ばからコロナ休館中の飯田市美術博物館ですが、展示はいつでも開館できるように、予定通り更新しています。

観てもらえないかもしれない展示準備は、気持ちが重くむなしい気持ちになりがちですが、それでも開館できる日に向けて、もくもくと準備しています。

2月の「季節の自然ひとつまみ」パネルは、雪上の足跡をとりあげました。
今年の冬は近年では珍しく雪が多い年で、近隣の山々へ出かけると雪上には無数の動物たちの足跡がみられます。

足跡を見ていると、普段姿を見かえることの少ない動物たちの生き生きと活動する様子が目の前に浮かびあがってきて、ワクワクします。
冬の足跡ウオッチング、お勧めですよ!

四方圭一郎(生物担当)

疱瘡と向き合う人びと

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1月に入り飯田市でもコロナの感染が拡大し、本館も11日から休館に。また、27日にはまん延防止等重点措置が長野県内にも適用され、もうしばらく休館が続きそうです。

12月から開催している文化トピック展示「飯田下伊那における疫病」は、皮肉にもコロナによって会期が減ってしまいました…。そんなコロナへの恨みつらみもこめて「疱瘡」への対処法を中心に展示資料を何点か取り上げてみます。

「疱瘡」(天然痘)は、治癒後も顔に痘痕(あばた)が残ることから「見目定め」ともいわれ、非常に恐れられていた感染症でした。飯田下伊那では近世以降30回以上も流行しており、現役の飯田藩主も亡くなっています。そんな疱瘡をもたらすと考えられたのが疱瘡神で、これを退散させると信じられたのが源為朝という武士です。

この絵馬は下條村の大山田神社に奉納されたものです。為朝と鬼のような姿をした疱瘡神が描かれています。同社は為朝を祀っていることから、疱瘡除けの信仰を集め、絵馬の数は約400点にのぼります。祈願を掛けた人びとが平癒のお礼として奉納したものと考えられます。今回の展示ではその一部をお借りしています。

また、疱瘡の平癒を祝う「疱瘡祝」という習俗もありました。

この資料は初誕生などの節目に、飯田藩士の子どもに贈られたものの帳面の綴りです。その中には、疱瘡から回復した際のお祝いに贈られたものの帳面も含まれています。疱瘡が人生の一つの節目として意識されていたことが分かります。

疱瘡は20世紀になって根絶しますが、それをもたらしたのが「種痘」の普及です。

この錦絵は、幕末に種痘を啓蒙するため飯田町で配布されていたものです。種痘が本格的に普及するようになるのは明治に入ってからですが、この絵の背後には、種痘によって命を救おうと努力していた医師たちの姿が浮かびます。実際、嘉永5年(1852)に飯田町で種痘を実施していた記録も見つかっています。

こうした資料を通して長い疫病との闘いを経験してきた人びとの姿を振り返ってみるのは、いかがでしょうか。

(民俗担当)