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飯田城跡
1.所在地 | 飯田市追手町 |
2.城館の概要 |
段丘先端に立地する。近世末まで城郭の機能が継続している南信州唯一の城郭である。室町時代には飯田郷地頭の坂西氏の居城であり、1554(天文23)年武田氏が小笠原氏を駆逐して郡代秋山信友が入る。1582(天正10年)織田氏の侵攻により坂西織部は敗死し、坂西氏は滅んだ。織豊政権下の毛利秀頼が飯田城の拡張を、1600(慶長5)年京極氏に替わった小笠原氏の時代に三の丸整備を行い、近世城郭の姿が整えられている。 |
3.調査 |
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4.調査の概要 |
1986・87年の調査では、本丸と二の丸間の空堀西側でこれより古い堀跡が発見され、中世飯田城が現在とは大きく異なっていたことが判明した。また、堀西側には方形竪穴と呼ばれる住居跡が多数見つかっており、中世の飯田城下町の姿を見ることができる。埋め立てられた堀断面の観察に拠れば、黒色土を主体とする上層と、褐色土・暗褐色土を主体とする下層の大きく2層に分かれる。この堀上層出土の遺物には16世紀末の三河地方の内耳土器が含まれていることから、少なくとも堀上部は織田氏の侵攻以降に埋め立てられたと考えられる。ところで、武田氏により南信州の諸城は改修を受けており、特に伊那谷支配の拠点となった高遠城・大島城は大規模に改修され、同様に飯田城も秋山信友により改修されて堅固な城になったとされている。下層は武田氏による改修を示す可能性がある。 |
5.遺物の保管 | 飯田市教育委員会 |
6.文献 |
郷土出版社刊 1995 『図説 飯田・下伊那の歴史』(上・下) |
遠望 |
発掘された二の丸 |
中世の堀跡 |
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