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鈴岡城跡
1.所在地 | 飯田市駄科 |
2.城館の概要 |
長野県史跡(1971年指定)。毛賀沢川と伊賀良井に挟まれた標高490mに立地する平山城である。主郭・二の郭・出郭・外郭などの縄張りがみられ、空堀や井筋・土塁・井戸などの遺構も残存する。鈴岡城は、信濃の守護小笠原貞宗の二男宗政が築城し、その後、宗康を祖とする鈴岡小笠原氏が居住したが、1554(天文23)年、武田信玄の伊那攻略によって落城した。 |
3.調査 |
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4.調査の概要 |
二の郭とその西・南の堀について確認調査が実施された。調査の結果、[1]二の郭は西側では盛り土により平坦面を作り出す一方、東側では削平して主郭との比高差を確保していること。同様に、二の郭西側の郭では削平して二の郭との比高差を確保していること、[2]二の郭西側の堀内部には障壁土塁を有すること、[3]二の郭縁辺部に幅2〜3m、深さ1mないしそれ以上の溝がめぐらされていること、などが判明した。遺物は、青磁輪花皿・碗、天目茶碗・折縁皿・丸碗・平碗・壷・茶壷・擂鉢、内耳土器、茶臼などが出土しており、15世紀後半から16世紀前半にかけての遺物が主体である。 |
5.遺物の保管 | 飯田市教育委員会 |
6.文献 |
市村咸人 1930 「鈴岡城址」 『史蹟名勝天然紀念物調査報告』第11輯 |
遠望 |
松ヶ先上空から鈴岡城跡を望む |
二の郭西辺の試掘状況 |
二の郭南側堀の状況 |
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