■新倉の糸静線の露頭
糸魚川−静岡構造線(糸静線)は日本列島を南北に横断する大断層で、糸魚川から松本、諏訪を通り静岡へとつながっている。西側には日本列島の基盤をなす岩石が分布し、東側にはフォッサマグナの新期の堆積物が広がっている。この付近では早川沿いを南北に走っていて、赤石山地と巨摩山地の境界をなしている。
この糸静線が、内河内川の入口のところにある大きな崖(国天然記念物指定)で観察できる。ここでは高さ30mにわたって断層面が露出しており、西側の瀬戸川層群のスレート(粘板岩)が東側の火山砕屑岩の上へのし上がっている。しかしながら、糸静線の主要な動きは、左横ずれ断層運動とされている。
山が隆起するはるか前(新第三紀中新世)、伊豆諸島が本州中央部に衝突して強く押したために、赤石山地が逆くの字に折れ曲がるとともに左横ずれ断層群によって大地が切り裂かれた。その代表的な断層が糸静線というわけだ。
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▲糸−静線の新倉露頭 |
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■明治時代の幻の道「伊奈街道」
「伊奈街道」は伊那谷(大鹿)と富士川谷(切石)とをつなぐために明治5〜6年に計画され、明治19年頃に完成した道幅2間(3m60cm)の広域道路である。伊那谷に駿河の海産物を運ぶことが主な目的とされた。
そのルートは、新倉から伝付峠を越えて大井川上流西俣を遡り、三伏峠を越えて大鹿村大河原へとつないでいる。長野県と山梨県の折半で費用が出され、関係する村からの人足によって工事がなされたという。伊那谷から身延山参りにいくらか利用されたらしいが、南アルプスの中央部を横断していて、保守管理がたいへんなため、数年で通れなくなってしまったらしい。
この「伊奈街道」の痕跡が一番よく残っているのが新倉広河原から伝付峠を経て二軒小屋へ至るルートである。村人の手で掘られた崖沿いの道など当時のことを思い浮かべながら歩くのも面白い。
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■峠道にそう地質と伝付峠周辺の展望
広河原付近には緑色岩や平行に割れやすいスレート(粘板岩)が分布している。これは瀬戸川層群の地層で、南方の雨畑ではこの黒色スレートをつかって硯をつくっている。広河原をすぎると岩相がかわり、砂岩レンズを含むメランジュ(混在岩)が分布するようになる。この岩相境界に笹山構造線が通っているらしい。上流は四万十帯の犬居層群となる。
川から離れて尾根をジグザグに登るようになると、今までよりも片理が強くみられるようになり、結晶片岩となる。伝付峠から二軒小屋へ降りる林道沿いでは、片理面が細かく褶曲しているのが観察できる。
伝付峠付近から白根三山の東側を通り早川尾根にかけての帯状の地域が、赤石山地四万十帯の中で一番変形が強い。
峠付近には展望台があるが、林道沿いを歩きながら展望を探すのも良い。東側には富士山や毛無・天主山塊、西側には主稜線の山々を望むことができる。
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▲ペラペラの割れやすいスレート |
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