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 ■■■地形・地質観察ガイド-高山・主稜線地域-■■■
 池口岳 池口〜池口岳〜鶏冠山
 
 池口岳は北峰(2392m)と南峰(2376m)の二つの尖ったピークからなる双耳峰であるため、遠くからでも同定しやすい山である。さらに南の鶏冠山も二つのピークをもち、北峰(2204m)と南峰(2248m)がある。北側の加加良沢上流には加加良銅山跡があり、かつて尾根の北側をまく金山道が開かれていた。また、麓の池口集落の対岸にも1971年まで稼行していた池口鉱山の跡がある。池口岳に源流をもつ池口川は不思議な川である。その名の通り、昔は池があったような地形をしているし、遠山川合流点にも厚い堆積地が残っている。これらは池口川流域の巨大崩壊にともなってできた地形のようだ。池口岳へは主稜線を南下しても行けるが、加加森山と池口岳の鞍部の藪がてごわい。ここでは、麓の集落である池口から尾根伝いに登り、山頂を踏んで鶏冠山までピストンするコースを紹介しよう。

■遠山川をせき止めた土砂

■上流を失った小池沢

■巨大崩壊の現場

■動物の痕跡が多い尾根道 

■加加良鉱山跡 

■池口北峰と南峰

■笹ノ平と鶏冠山

▲ザラ薙からみた池口岳
 


 

■遠山川をせき止めた土砂 

 池口川が遠山川へ合流する地点に、厚さ数10mにもおよぶ堆積地がある。現在は遠山川や池口川に侵食されて段丘化しているが、池口川が押し出した扇状地のような形をしている。右岸側を大島、左岸側を漆平島という。遠山川のような急流河川にこのような厚い堆積土砂をもたらしたのは、池口川流域で発生した巨大崩壊である。
 このとき遠山川がせき止められたらしい。その証拠に合流点から1kmほど上流の畑上ではかつて瓦を焼く粘土を採っていた。また、近年の河床低下によって、立ったままの埋没樹が川原に現れるようになった。これらは、かつて遠山川がせき止められてダム湖のようになったために、樹林が水に沈んで土砂や粘土に覆われたことを示している。
  寺岡義治氏によると、埋没樹は年輪年代測定法によって西暦700年ごろに枯死したらしいことが分かってきた。つまり1300年前に、天変地異ともいえるような巨大な崩壊が発生し、遠山川の河川環境を一変させたというわけだ。
 
▲遠山川河床に現れた埋没樹

■上流を失った小池沢 

 漆平島の南に小池の集落がある。ここから和田にかけて小池沢という大きな谷ができているが、流れている水の量はわずかだ。とてもこんなに大きな谷をつくったとは思えない。谷をこれほど侵食するには昔は大きな上流域があったはずだ。
 地形図上で小池沢を上流の方へ目で追うと、川を突然埋めたような小池集落の高まりを隔てて池口川の上流域が広がっている。池口川はかつて小池沢の方へ流れていたと考えたらどうだろう。その理由の一つは、漆平島と小池との間のチャートや砂岩からなるやせた尾根だ。このような尾根ができるには遠山川と小池沢の両側から侵食されなければならない。この尾根が池口川右岸側の砂岩に続いていれば水量豊富な池口川が東から侵食したとしてつじつまがあう。もう一つは、小池沢と池口川上流部の河床縦断面が小池集落の地形的高まりを除いてスムーズにつながることだ。それでは、なぜ上流域の水は大島・漆平島の方へ流れるようになってしまったのだろう。
 小池集落の地形的高まりは小池沢の源頭を覆った厚い堆積物だ。この堆積物は漆平島と小池との間の吊り尾根を明らかに覆っている。つまり、この堆積物をもたらした巨大崩壊起源の土石流もしくは岩屑流は、小池の集落付近を埋積させ、さらに右岸側の吊り尾根を乗り越えて遠山川へ溢れ落ち、そこへ堆積したのが大島・漆平島なのではないだろうか。この事件以後、小池沢は上流域を失い、その水は大島・漆平島へ流れるようになったと思われる。
 
▲小池沢の源にある小池集落

■巨大崩壊の現場 

 大島・漆平島・小池の堆積物をもたらした巨大崩壊地はどこだろう。池口集落から上流域は、河床が砂礫で埋められている。この川幅が広がったところに池ができていたのだろうか。もしそうならば、この下流で斜面が崩壊して池口川をせき止めたにちがいない。
 地図をみると、左岸側に歩道が中腹に向かって延びている。この終点に池口鉱山跡があるが、この付近だけ斜面が緩やかになっている。上部は尾根筋まで馬蹄形に斜面が凹んでいる。この馬蹄形の地形は明らかに滑落崖で、緩やかなところは滑り落ちて止まった地すべり土塊だ。これが一連の事件のはじまりであった可能性が高い。
 地すべり土塊の標高は840〜900mで、下を流れる池口川の河床が標高550〜650mである。標高差250mで、侵食前線は大島・漆平島から2000m進んでいる。もしこの崩壊が1300年前に起こったならば、下刻のスピードは年に20cmほどで、侵食前線は年1.5mほど前進してきたことになる。
 
▲池口からみた崩壊堆積物

■動物の痕跡が多い尾根道

 池口の集落から林道をしばらくたどり、途中から山道に入る。砂岩からなる尾根道をどんどん登っていくと、石灰岩の巨岩が現れ、小さな祠が祀られている。面切平をすぎ、さらに登っていくと1561mのピークにでるが、この付近はみごとな二重山稜となっている。尾根筋の北側は滑落崖となっていて、遠山川須沢の平畑へ土砂を供給している。
 狭くなった尾根を通りさらに登っていくと、黒薙の三等三角点の手前で、赤色チャートと緑色岩がでてくる。この付近はうっそうとした樹林の中の山道がつづいているが、ときどき樹林がとぎれて低いササ原となっているところがある。辺りの樹木にはシカの食痕が多く、足下はシカの糞だらけとなっている。ここは動物が植生に強く影響を与えている場所だ。
 

 
▲ササと原生林の中の道

■加加良鉱山跡 

  黒薙をこえるとザラ薙まで砂岩主体の岩相となる。ザラ薙の頭からは池口岳が正面にみえる。水場のプレートをすぎ、再び赤色チャートや緑色岩がでてくるようになると、主稜線も近い。地図をみると、北西の斜面にガレ場がでてきて、その北側に加加良銅山跡という注記がある。ガレ場には緑色岩と赤色チャートが広く露出している。
 加加良銅山は1884〜1887年(明治17〜20年)にかけて稼働していた銅山であり、尾根の北側の斜面に沿って搬出のための金山道がつけられていた。今でも樹林の中に坑道が残されているという。緑色岩やチャート中に胚胎したキースラーガー(層状含銅硫化鉄鉱床)であると考えられる。これは、海底火山活動に伴う熱水性堆積鉱床である。
 

■池口北峰と南峰 

 しばらく尾根を登ると、加加森山からの主稜線にでる。さらに泥岩からなる急斜面を登ると、北峰につく。山頂付近には白っぽい凝灰岩が分布し、まれに緑色岩も転がっている。樹木の切れ目から緑の中に白く光る光岩が印象深い。南峰へはそのまま南下し、鶏冠山への稜線をすぎるとまもなく頂上である。南峰(十釈迦山)には三等三角点が埋められている。
 
▲白い岩塔が目立つ光岳

■笹ノ平と鶏冠山 

 鶏冠山へ向かう稜線の降り口が分かりづらいので、地図を読んで慎重に下る。しばらく下ると稜線に居ながら水の流れが聞こえてくる。柴沢源流の水量豊富な沢が稜線と平行して流れているからだ。しだいにササが増えてくると、まもなく広々とした笹ノ平だ。ところどころにササの葉がかじられた跡がみられる。あたりには獣道が非常に多く、シカの生息密度が非常に高いことがわかる。シカにであったり、白骨がみつかるかもしれない。
 笹ノ平をすぎて鶏冠山の登りは踏み跡が明瞭でないが、西側を回っていけば原生林の中はそれほど歩きづらいものではない。適当に高いところを登っていくと、鶏冠山北峰につく。この辺りは砂岩が主に分布していて、南へつづく稜線はところどころ岩稜となっている。トサカ岩をすぎてさらに登ると南峰(梶ヶ岳)につく。
 
▲笹ノ平からみた鶏冠山