■北沢峠のドロノキ(ニオイドロ)
南アルプススーパー林道はほとんどが舗装されて快適な車道となっているが、北沢峠付近の国立公園第一種指定地域のところだけ土のままである。これは、観光開発と自然保護との綱引きの中で決められた妥協策だ。舗装と比べて自然へのインパクトは小さくなったかもしれないが、原生林に覆われた昔の姿と比べると、大きな改変であったことは間違いない。しかし、バスの入るシーズン中こそ人混みが著しいが、シーズンオフとなれば静寂そのものである。
北沢峠は、仙水峠と同様に風隙である。北沢峠の窪地と大きな谷地形、さらには遊歩道沿いの円礫が、かつてこの谷の上流がもっと信州側に広がっていたことを物語っている。しかし、藪沢との河川争奪に敗れたために、上流部を奪われてしまったわけだ。
山梨側へ少し下ると、明るい谷の両岸にヤナギ科のドロノキ(ニオイドロ)の大木が茂っている。ドロノキの祖先は、この北沢峠をめぐる自然の攻防戦をみていたにちがいない。
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▲北沢峠を通るスーパー林道 |
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■藪沢下流部を埋めた角礫層をめぐる論争
北沢峠から西へ藪沢ルートを行くと、大平山荘付近から藪沢の広い谷が見渡せる。この付近は藪沢の両岸に二段の低起伏面が広がっている。ここには膨大な量の角礫が堆積している。この角礫層の起源をめぐって、藪沢上流部にあった氷河が後退するときのアウトウォッシュ堆積物であるという説と、崩壊性の岩屑であるという2つの説がある。
角礫層は現在の藪沢の侵食によって激しく崩壊しているため、崩壊防止工事が盛んにおこなわれている。また、河床にはたくさんの堰堤がつくられている。人間の力で藪沢の侵食をどこまでくいとめることができるのであろうか。
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▲藪沢下流の角礫層 |
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■馬ノ背モレーンと高山景観
斜面をまくうちに、谷はしだいに狭まって勾配も急となる。大滝をすぎると、川沿いの荒れた道をしばらくたどることになる。後ろに甲斐駒ヶ岳がみえるようになると、まもなくモレーンの上に建てられた馬ノ背ヒュッテにつく。このモレーンは植生に覆われていて分かりづらいが、流れ下る氷河の側面にできたラテラルモレーン(側堆石)である。馬ノ背の尾根に登ると、ハイマツが現れ、正面に仙丈ヶ岳と藪沢カールが目の前に現れる。雄大な高山景観を楽しんだら、氷河が大滝付近まで流れ下っていた氷河時代のころを想像してみよう。仙丈ヶ岳はモンブランのように光り輝いていたにちがいない。
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▲モレーン上に建つ馬ノ背ヒュッテ |
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■藪沢カールとモレーン
風車を連ねる仙丈小屋のすぐ上には、三日月形をした見事なターミナルモレーンが残っている。このモレーンは最終氷期末期の今から1〜2万年前にできた。モレーンのすぐ外には上流側が氷河に磨かれて丸くなり、下流側がゴツゴツした羊背岩もある。この付近は、氷河期の遺跡公園ともいうべき貴重な氷河地形が残っているわけだ。この中に、風力発電までそなえた2階建ての小屋がほんとに必要だったのだろうか。便利になった反面、もう少し景観に配慮したり、規模を小さくするなど考えるべきだったようにも思う。
岩屑斜面を登り稜線にでると、尾根がぱっくりと開いた地すべりクラックが現れる。周辺の地形をみると、すでに馬ノ背へのびる尾根は、尾勝川の谷頭侵食によって尾根筋自体が侵食されて、藪沢側へ移動してしまっているようだ。将来、このクラックにそって尾根の北側が尾勝川へ崩落してしまうかもしれない。
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▲三日月型のモレーン |
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■やせ尾根の稜線散歩
仙丈ヶ岳の山頂からは360゜の雄大な景観が広がる。とくに北岳と甲斐駒ヶ岳がすばらしい。西には伊那谷をはさんで中央アルプスの山並みもみえる。展望を楽しんだら、小仙丈ヶ岳へのやせた稜線をたどろう。この稜線は両側から氷河の侵食で削られたアレート(氷食山稜)の名残だ。しかし、砂岩と泥岩からなる尾根は、氷河が消えたこの1〜2万年の間に風化と侵食をうけ、今ではハイマツに覆われてしまってすでに荒々しさはない。
形の整った小仙丈沢カールを観察したら、尾根をゆっくり下ることにしよう。
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▲小仙丈カールと仙丈ヶ岳 |
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