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■権現づるねコース

■権現づるね登山口

■権現山山頂

■花崗岩と変形した礫岩

■線状凹地と斜面の傾斜異常

■マサにできた条線土

■西駒山荘

■将棊頭山の展望

■木曽駒花崗岩

■濃ヶ池とモレーン

 このコースは地元の方々によって最近になって整備されたが、実は江戸中期に高遠藩の検分登山の際にすでに歩かれている歴史の道だ。上松から駒ヶ岳へ登ったウェストンもこの道を下ったらしい。現在では、登山地図にも掲載されている。

 五合目付近までは問題ないが、ここから八丁立の三等三角点までの尾根がところどころ迷いやすく、急坂となって歩きづらいところがある。「つるね」とは尾根を意味する。

 地質は主に東側半分が黒っぽい変成岩(黒雲母片岩)で、西側の主稜線側が木曽駒花崗岩となる。この岩相境界は、2250m付近の傾斜の変換点にある。権現山と五合目の間には花崗岩が分布する個所がある。


▲権現山−木曽駒ヶ岳のマップ(カシミール3Dを利用)

■権現づるね登山口

 雨乞いや高遠藩の検分登山でも利用された歴史の道だが、伊勢湾台風で荒れ、その後ロープウェイの設置で登山者も少なくなって、自然に廃道になっていたという。これを地元の方々がササを刈ったり倒木を除去したり、道標を整備するなどして、復活させた。

 登山道入口には歴史の道であることを記した標識があり、途中の道沿いにも、競馬場跡、伊那高女学校林などの標識がある。地元の人たちの歴史や自然を大切にする気持ちが伝わってくる。

▲権現づるね登山道入口
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■権現山山頂

 1996年に権現社の再建がなされ、石でできた新しい祠が設置されている。周辺には、学校登山を記念したプレートがたくさん置かれている。手前には鳥居の跡もある。

 西春近小学校のホームページによると、昭和10年から学校登山が行われていたという。戦後しばらく途絶えていたが、現在では6年生の伝統行事となっている。

▲権現山山頂と西山権現社
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■花崗岩と変形した礫岩

 権現山と五合目の間には、太田切花崗岩が分布する。太田切花崗岩は、白雲母を含んでいる細粒の白っぽい花崗岩で、ザクロ石を伴うことがある。

 この花崗岩の周囲には、黒雲母片岩でなく砂質片岩がときどき分布している。砂質片岩の中の、礫質な部分を見てみると、礫が細長くラグビーボール状に伸びているのが分かる。地下の高い温度と圧力の中で、飴のように変形したわけだ。

▲鉛筆状に長くのびた礫
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■線状凹地と斜面の傾斜異常

 五合目をすぎてしばらくいくと、なだらかで広い尾根が続くようになる。この広い尾根には尾根筋と平行した東西方向の線状凹地が二本発達している。

 地形図で尾根の南斜面を見てみると、斜面の傾斜が緩くなったり、急になったりするところがあって、ややおかしい。おそらく、この尾根が広くてなだらかなのは、尾根から南斜面全体が変形し、クリープもしくはすべり面を伴って南下方へ向かって移動しているのだろう。線状凹地は、その変形に伴うすべり面が地表に現れたものだろう。

▲尾根筋と平行する線状凹地
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マサにできた条線土

 八丁坂の三角点をすぎると、こんどは尾根と直交する方向の線状凹地がでてくる。このあたりは、落ち葉がフカフカしていて歩きやすく、苔むしている場所もあって気分の良いところだ。木曽駒花崗岩の巨石もある。

 内ノ萱への道を分けて、さらに登ると御料局三角点が設置された将棊の頭にでる。目の前に高山景観が広がり、伊那谷の展望もすばらしい。この付近の砂礫地には、条線土が見られる。

▲条線土
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西駒山荘

 将棊頭山を背景に、赤い屋根の西駒山荘が現れる。南西側には石を屋根の位置まで積み重ねて、強風対策をしている。

 この西駒山荘は、中箕輪尋常高等小学校の大量遭難事件をきっかけに、1915年に地元の手でつくられたらしい。その後、伊那市の運営に代わっている。

▲西駒山荘
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■将棊頭山の展望

 将棊頭山へ登れば、御嶽山から駒ヶ岳、南アルプスと、360°の展望が得られる。

 登ってきた尾根を振り返ると、将棊の頭までの尾根がゾウの背中のようにどっしり見えている。その向こうには南アルプス北部の山々と八ヶ岳の間に、奥秩父の山々がみえる。

▲将棊頭山からみた将棊の頭
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■木曽駒花崗岩

 稜線を駒ヶ岳山頂へ向かうと、木曽駒花崗岩の自然石に彫り込んだ遭難記念碑がある。これは、新田次郎の小説「聖職の碑」で有名となった大量遭難事件の記念碑だ。大正2年中箕輪尋常高等小学校の集団登山の際、台風の暴風雨ために生徒と教員あわせて11人がなくなったという。

 付近には、風化と侵食を受けた花崗岩の巨石がたくさん分布している。表面をよく見ると、木曽駒花崗岩の特徴である暗色包有物が、侵食に抵抗して出っ張っているのが観察できる。

▲暗色包有物を含む木曽駒花崗岩
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濃ヶ池とモレーン

 8合目をすぎると、濃ヶ池カールで侵食されてやせ尾根となった馬ノ背にでる。ここからは、黒川の氷食谷(U字谷)やカールの底にたまった濃ヶ池やモレーンを観察できる。これらは、すべて氷河時代からの贈り物で、7〜2万年前にできた地形を見ているわけだ。もちろん、当時は氷河におおわれていて、カールには白く輝く氷河がおおい、森林限界は1000m以上も下がっていたはずだ。

 濃ヶ池はカール壁から流れてくる土砂の埋積で小さくなっているとされていたが、最近、排水口の侵食によって急激に水位が下がっていることが確認された。これは人の踏みつけによるものらしい。

▲馬ノ背からみた濃ヶ池
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