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北御所コース

■中御所発電所周辺の変成岩

■電気石を含むペグマタイト

■清水平の線状凹地

■うどんや峠と展望

■一丁ヶ池と線状凹地

■閃緑斑岩に彫られた勒銘石

■寒冷気候がつくった平坦地と岩塔

 北御所登山道は伊那谷の学校登山でよく利用されているコースだ。そのため他のコースに比べて良く整備されており、利用者も比較的多い。

 北御所谷入口からの林道歩きにはじまるが、本格的な尾根道までの準備運動には適当だろう。林道沿いの岩石を観察するのもおもしろい。

 尾根に取り付いてからは、移り変わる森林景観とともに清水平の湧水や一丁ヶ池などの水景観も興味深い。

 伊那前岳周辺には木曽駒花崗岩中に貫入した閃緑斑岩が見られる。高遠藩郡代坂本天山の勒銘石は、この岩石に彫り込まれている。勒銘石の碑文はほとんど読めないるが、昭和初期に彫られた副碑で読むことができる。勒銘石は、1783年(天明3年)の駒ヶ岳検分の際に彫られたものらしい。


▲北御所谷入口−木曽駒ヶ岳のマップ(カシミール3Dを利用)

■中御所発電所周辺の変成岩

 北御所谷の入口までバスがとおっているが、このすぐ下流に中御所発電所がある。中御所谷、北御所谷、黒川の水を水路トンネルで集めて発電している。発電に利用した水は再びトンネルに入り、新太田切発電所まで運ばれる。そのため、中御所発電所の下流側にはほとんど水が流れていない。

 中御所発電所上流では水流に磨かれて黒雲母片麻岩が美しい。このあたりはペグマタイトやアプライトの白い脈がいくつも入っている。河原の白い巨礫には黒い斑点が目立つ。これは花崗岩に取り込まれた暗色包有物で、木曽駒花崗岩の特徴だ。

▲中御所谷の変成岩礫
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■電気石を含むペグマタイト

 しばらく林道歩きをしながら、岩石や景観を楽しもう。北御所林道沿いには縞模様の発達した黒雲母片麻岩や黒っぽい雲母片岩が分布している。ときどき花崗岩が挟まれている。よくみると結晶の粒が大きいペグマタイトだ。白雲母を含むことがあるので探してみよう。

 北御所谷をわたる橋までくると、両側には花崗岩が分布するようになる。この付近には電気石を含むペグマタイトが見られる。電気石は黒っぽい長柱状の鉱物で、断面は六角形になることが多い。長さ10cm以上の大きな電気石も見つかるかもしれない。電気石は加熱すると結晶の両側で電荷を帯びることからこの名前がついた。

 ここでは変成岩と花崗岩との境界を探すのもいいだろう。この地質境界は北東−南西方向へ続いていて、これから歩く登山道沿いでも確認できる。

▲電気石ペグマタイト
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■清水平の線状凹地

 尾根道を登っていくと、足下の転石は変成岩から花崗岩へと移り変わる。しばらくいくと閃緑斑岩の貫入岩が現れる。これは伊那前岳山頂付近に分布している貫入岩の延長なのだろう。

 再び黒っぽい転石が目立つようになり、変成岩が分布するようになる。ちょうど地形も緩やかになって尾根を横断する線状凹地がでてくる。ここが清水平だ。名前通り湧水があるが、秋にはときどき枯れているので注意が必要だ。

▲清水平
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■うどんや峠と展望

 急傾斜地を登りつめて尾根に上がったところがうどんや峠だ。峠のすぐ手前には菫青石を含む変成岩が分布していて、峠には木曽駒花崗岩が分布している。ここから山頂までは主に花崗岩だ。峠付近の木曽駒花崗岩には暗色包有物がめだつので観察しておこう。

 この峠からは檜尾岳の展望がよく、たいへん気持ちの良いところだ。

▲うどんや峠から檜尾岳
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■一丁ヶ池と線状凹地

 植生に覆われた岩塊地をすぎてしばらく登ると、尾根と平行する線状凹地がでてくる。ここには水がたまっていて、一丁ヶ池と呼ばれている。

 地図を見ると、この線状凹地の南側の山腹が緩やかとなっていて、その緩傾斜地の東西を限るように北御所谷の源流が深く食い込んできている。けっこう北御所谷の谷頭侵食は激しい。一方、北側の黒川の山腹はあまり侵食を受けていない。おそらく、この緩傾斜地が南側へ滑ったために、一丁ヶ池の線状凹地ができたのだろう。

 地図を見ていてもう一つ気がつくのは、同じ花崗岩分布域なのに尾根の南斜面に崩壊地が多く、北斜面には少ないことだ。南斜面は1日の温度較差が大きいため、花崗岩が風化しやすいのかもしれない。

▲線状凹地に水がたまった一丁ヶ池
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■閃緑斑岩に彫られた勒銘石

 急傾斜地のダケカンバからハイマツに移り変わるようになると、花崗岩とは異なる灰色の岩石がでてくる。この岩石は舟窪の東から勒銘石の西まで約1500mにわたって頻繁にでてくる。これは安山岩〜閃緑斑岩の貫入岩だ。すべて西北西−東南東から東西方向にのびていて、群れをなしている。

 これらの貫入岩は、花崗岩とちがって白い大きな鉱物(斑晶)と灰色で緻密な部分(基質)からなる岩石だ。これを斑状組織といい、マグマが急に冷やされたときにできる。これに対してマグマがゆっくり冷えると、すべてが結晶化して花崗岩のような大きな鉱物の集合となる。これを等粒状組織という。

 等粒状組織をもつ花崗岩は、それぞれの鉱物の膨張率が異なるため、温度変化を繰り返し受ける間に鉱物同士が離れてバラバラとなってしまう。つまり風化を受けやすい岩石だ。そのため、勒銘石などの石碑は花崗岩ではなく、斑状組織をもつ貫入岩を使っている。

勒銘石(右奥)とその副碑(左奥)
 右下のハンマーは閃緑斑岩。
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■寒冷気候がつくった平坦地と岩塔

 中岳の周囲には傾斜の緩やかな砂礫地が広がっている。とくに宝剣岳との間は驚くほど平坦で、宝剣岳などの険しい岩塔と著しい対照をなしている。

 緩傾斜地には岩塊地、階状土、雪窪などのさまざまな小地形が見られる。それぞれ高山帯特有の周氷河地形だ。岩塊地は岩盤が強い凍結破砕作用によって砕かれた岩塊が集合したもので、氷期には間隙水の凍結融解作用によって下方へ移動していたらしい。階状土は砂礫層が凍結融解作用によって斜面下方へゆっくり移動するソリフラクションによってできたものだ。このとき、粗粒な礫ほど前方へ押し出されて停止するため後方に細かい砂礫の平坦地ができるという。雪窪は残雪が残りやすい場所にできた窪地だ。残雪地は植生が発達しないので雪解け後にソリフラクションや流水による侵食などを受けやすく、そのために窪地になりやすいという。これらの地形をつくる作用は、大きく見ると起伏のある地形を平坦化する働きをもっている。さらに冬季の強風が平坦化を促進しているのだろう。

 一方、宝剣岳の岩塔やカール壁の荒々しい岩壁が隣接している。これらの花崗岩にはもともと垂直な節理(割れ目)が発達している。これらの節理は表面からしみ込んだ水の凍結によって広がり、岩盤は不安定になる。豪雨や地震が発生すると、不安定な部分が剥がれ落ちて岩壁下に岩塊地ができる。岩壁には再び垂直な節理に規制された新鮮な岩が現れるというわけだ。

 このようにしてみると、対照的な平坦地と岩壁や岩塔は、ともに寒冷気候がつくったものといえる。

▲中岳・宝剣岳間の平坦地
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