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 ■■■地形・地質観察ガイド-高山・主稜線地域-■■■
 聖岳 便ヶ島〜聖岳〜上河内岳〜茶臼岳〜易老岳
 
 聖岳(3013m)は南アルプス南端の3000m峰である。主稜線の前聖岳と東へ張り出す尾根上の奥聖岳という二つの小ピークからなり、奥聖岳に三等三角点がある。山頂部が東西方向に伸びているため南方の静岡市からは台形の山にみえ、西方の遠山下栗からはピラミッド型の山にみえる。急峻で大きな聖岳に対して上河内岳(2803m)はあまり目立つ山ではないが、ゆるく裾をひく尖峰が特徴だ。山頂は主稜線から静岡県側によったところにあり二等三角点がたつ。規模の大きな線状凹地が発達し、茶臼山との中間地点にお花畑がある。ここでは遠山川を遡って主稜線にでて聖岳を往復し、上河内岳から茶臼岳(2604m)、仁田岳(2524m)、易老岳(2354m)と縦走する周遊のルートを紹介しよう。

■下栗からの展望と遠山川沿いの地質

■便ヶ島から薊畑

■最南端の3000m峰、聖岳

■聖平のお花畑と登山道の侵食 

■上河内岳の展望と竹内門 

■二重山稜にできたお花畑

■茶臼岳から仁田岳と易老岳

▲上河内岳からみた聖岳
 


 

■下栗からの展望と遠山川沿いの地質 

 湯立て神楽で有名な遠山郷の最奥の集落が下栗である。ここから遠山川の谷の源頭に聖岳がまるでピラミッドのような姿でそびえている。谷と尾根が地質と同じ東北東−西南西方向に伸びて配列しているために、この方向の展望が良いわけだ。
 下栗の集落をすぎると、やがて車道は北又沢へおり、遠山川本谷ぞいの林道となる。この林道はかつての森林鉄道の軌道敷を広げたものだ。兎洞出合いの弁天岩までは砂岩と泥岩の単調な岩相がつづく。弁天岩をすぎると、泥質な岩相となり砂岩の他にチャートや緑色岩などが不規則に含まれるようになる。それぞれの岩石は大小さまざまで、起源や年代も全く異なっている。このような特徴をもつ地質体をメランジュ(混在岩)という。
 砂岩と泥岩は陸側から河川によって運ばれた砂や泥が起源である。一方チャートや緑色岩は、陸から運ばれてきた砂粒などを全く含まず、陸から離れた深い海でできたものだ。
 チャートは緻密でガラスのような岩石で、珪質(SiO2)な殻をもつプランクトンの一種、放散虫が堆積してできた。チャートを水につけて目を凝らしてみると、直径0.2mmほどの灰色の小さな粒がみえる。これが放散虫化石だ。
 緑色岩は海底で噴出した玄武岩質溶岩が変成したものである。溶岩は水中で急冷されると破砕されて火山灰のようにバラバラとなって堆積したり(水冷自破砕岩)、表面が急速に冷えて枕を積み重ねたような形(枕状溶岩)になる。
 さらにこの付近の泥岩に含まれる放散虫化石の多くが8000〜6500万年前のものであるのに対し、チャートは1億年以上前の放散虫化石を含んでいる。
 メランジュには、このように海洋起源の古い岩石と大陸起源の新しい岩石が混在している。これはプレートテクトニクスによって次のように説明される。
 海洋プレート上でできたチャートや枕状溶岩がプレートにのって運ばれ、海溝で大陸プレートの下に沈み込む際に、大陸起源の砂や泥と一緒になって陸側へ付加した。この沈み込みの際に、チャートや枕状溶岩は分断され、同様に分断された砂岩とともに泥岩の中に取り込まれるようになったと考えられている。
 兎洞林道分岐の下流側で赤色チャート、易老トンネルの上流側出口の川沿いで枕状溶岩が観察できる。川沿いを歩けば、深い海の底で起こった大地形成のドラマを、肌で感じることができる。
 
▲易老渡の枕状溶岩

 
 
▲きれいに成層する赤色チャート

■便ヶ島から薊畑 

 便ヶ島の平坦地は曲流していた遠山川がショートカットしたために残された環流丘陵(繞谷丘陵)である。すでに現在の河床は40mほど下を流れている。ここから西沢渡までは軌道敷跡を歩くことになる。
 西沢を渡って尾根をしばらく登ると、緑色岩が現れるが、その後はずっと赤色チャートが出てくる。しばらくは赤色チャートを踏みながら樹林帯の厳しい登りがつづく。花崗岩質の貫入岩がでてくると、主稜線の薊畑が近い。薊畑にでると急に展望が開け、上河内岳から光岳への雄大な連なりが目の前に広がる。
 
▲薊畑からみた上河内岳

■最南端の3000m峰、聖岳 

 南アルプスは主稜線の起伏が大きいので、稜線に出たからといって安心できない。これから山頂までの道のりがとくに長く感じられる。実際に、薊畑から山頂までの高度差は実に700mもある。
 小聖をすぎ、砂岩と泥岩のガラガラとした斜面を登ると、やっと前聖岳の山頂に出る。北東へ600mほどいくと奥聖岳の三等三角点にでる。
 山頂付近には緑色岩やチャートが点在している。これらの岩石は、兎岳へむかう聖岳北西の主稜線に急峻な岩壁をつくっている。この主稜線にそう登山道沿いのチャート・赤色泥岩・黒色泥岩からは、多数の放散虫化石がみつかっている。
 
▲聖岳北西面の赤色チャート

■聖平のお花畑と登山道の侵食 

 聖平はまわりが亜高山性針葉樹林であるにもかかわらず、ここだけがお花畑となっている。この理由は三伏峠と同様、遠山谷を遡ってきた西からの強風が収束する地形であることと、風下側に位置しているため残雪が多いこととされている。とくに、多くの倒木は、1959年の伊勢湾台風の強風によるものらしい。幼樹が育っているところもあるが、今でもときおり強風が吹いて森林になることが阻害されているようだ。
 お花畑を横切る登山道沿いは近年侵食が目立っていたが、1999年になって静岡県が木道を設置した。掘り込まれた登山道跡がどのように回復していくか調べていくことも必要だろう。
 

 
▲倒木が目立つ聖平と聖岳

■上河内岳の展望と竹内門 

  緑色岩と赤色チャートが分布している聖平をすぎると、南岳(2702m)までは砂岩と泥岩の地層がつづく。途中、土壌水の凍結融解作用で砂岩の礫が移動し、泥岩基盤の上に被さっている露頭がある。これをソリフラクションという。礫の上には植生が発達しているので、氷河時代の名残だ。
 南岳の北斜面ではハイマツが茶変していたり、白骨化して草地化している場所がある。ハイマツは土壌を保持し、崩壊を防ぐ働きがあるので、ハイマツの枯死は、今後注視していく必要があるだろう。
 上河内岳はまわりに遮るものがなく、360゜の展望が得られる。大きな聖岳の背後には、赤石岳と悪沢岳が並んでみえている。南には茶臼岳から光岳にかけてのなだらかな稜線が連なり、遠くには大無間山から小無間山にかけての特徴的な稜線もみえる。東には尖った笊ヶ岳とおわん型の布引山が仲良く並び、稲又山の真上に富士山がそびえている。
  縦走路にもどり下りはじめると、まもなく竹内門と呼ばれるチャートの岩塔がでてくる。近づくと、岩の表面には、縞模様の浮き彫りがみえる。チャートはもともと二酸化珪素に富む部分と泥質な部分とが層をなしているのだが、高山という過酷な条件下で強い風化と侵食をうけ、泥質な部分が掘られて珪質な固い部分のみが浮き上がってしまったわけだ。
 竹内門のチャートは、一枚の地層が厚くなったり薄くなったりしていることから、堆積後、十分に固結する前に褶曲したようだ。
 
▲チャートの紋様が美しい竹内門

■二重山稜にできたお花畑 

 地形図に「御花畑」と記載されている場所は、規模の大きな線状凹地で二重山稜になっている。植生のないところを探すと、砂礫が亀の甲のような模様をつくっているところがある。よくみると中心に小さな礫が集まり、周辺に大きな礫が集まっている。これは、亀甲状土とか淘汰円形土とか呼ばれる構造土の一種であり、土壌水が凍結融解を繰り返すことによってできた周氷河地形である。ただし、ここの淘汰円形土はすでに植生に覆われているので、化石周氷河地形というべきものだ。
 登山道はこの亀甲状土をもつお花畑の真ん中を通っているため、踏みつけによって植生が失われたり構造土の形状まで変わったりしている。
 
▲「御花畑」の化石淘汰円形土

■茶臼岳から仁田岳と易老岳 

 チャートと緑色岩でできた茶臼岳山頂をすぎると、稜線上の樹林の中に仁田池がみえてくる。東側が崩壊していて、よくこんな微妙な場所に水が溜まるものだと感心する。この付近には二重山稜が発達し、降雨の後にはあちこちに池ができる。
 仁田岳は縦走路から南へ張り出す尾根上にある。この付近には強い西風を示す偏形樹が発達している。仁田岳からさらに南へ続く尾根は砂岩の岩塊斜面となっていて、雄大な景観をつくっている。
 樹林帯の縦走路にもどり緩やかなアップダウンを繰り返すと易老岳につく。ここから、易老渡の本谷林道までは、樹林の中を1500mも下らなくてはならない。
 
▲仁田岳のハイマツ群落