■易老渡から樹林の尾根道
易老沢が合流すると、すぐ上流に橋がかかっているのでこれを渡る。下を流れる遠山川は真っ黒な岩壁の間を流れている。この岩石は弱い劈開をもつ黒色泥岩で、この中にときどき灰色から淡緑色の凝灰岩が挟まれている。この凝灰岩は大陸起源の火山灰が海底に降り積もってできたものだ。細粒の凝灰岩には白亜紀後期(8000万年前)の放散虫化石が含まれている。
ジグザグに急斜面を登っていくと、やがて足下の石ころの色が赤や緑になっていることに気づく。赤色チャートと緑色岩が分布しているためだ。崩壊地の頭をすぎて登ると、再び砂岩や泥岩となる。急な尾根をさらに登っていくと、傾斜が緩やかになり巨木が茂る面平につく。巨木の森の静けさが怖ろしいくらいだ。
面平からは樹林の中の尾根歩きがずっと続く。地質も単調でほとんどが砂岩と泥岩だ。やせ尾根の凝灰岩地帯をすぎるとまもなく易老岳につく。
|
|
▲巨木がそびえる面平 |
|
■易老岳から三吉平
易老岳は樹林に覆われていて、主稜線上のこぶのような目立たない山である。山頂を示す案内板がなければ、通り過ぎてしまうだろう。
光岳方面へ下ると、泥岩の崩壊地がでてくる。泥岩はペラペラと割れやすく常に崩壊しているようだ。ここからは北西方向の展望が広がるので山並みを観察してみよう。遠山川をへだてて御池山などをのせたシラビソ山塊が正面にみえる。山腹に林道が走っているのですぐわかるだろう。手前には主稜線から2本の尾根が南西方向にのびてきている。これらの山塊と尾根の間には奥から北又沢、兎洞、遠山川本谷が深く切り込んでいる。これらの尾根と沢の方向は地層と同じ北東−南西方向なので、地層の弱線に沿って侵食してできたものだろう。
針葉樹の立ち枯れが目立つようになると、これから登る光岳の姿が、木々の間からみえるようになる。
最低鞍部の三吉平に降りると、湿地帯をへて水が伏流している沢を登るようになる。水がでてくるようになると静高平は近い。北へ流れるこの沢は、三吉平から向きを変えて信濃俣河内にそそぐ不思議な流路をもつ川だ。易老沢側の侵食がすすめば、上流部は易老沢に争奪されてしまうだろう。
|
|
▲立ち枯れした樹林と光岳 |
|
■静高平からイザルガ岳
静高平は沢沿いに高山植物が咲き誇り、すがすがしいところだ。ハイマツがでてくるとイザルガ岳への分岐だ。イザルガ岳への道はダケカンバとハイマツがミックスしていて、山頂に近づくとハイマツの海になる。ハイマツはさらに南部の山々にもみられるが、少数が生育しているのみで、群落としてはこの付近が最南端である。ライチョウの生息も南限となっている。
イザルガ岳の広い山頂からはさえぎるものがなく、360゚の雄大な景色が広がる。地表には細かく砕けた泥岩がちらばり、北西の風衝側には背の低いハイマツ群落が覆っている。
|
|
▲静高平を流れる清流 |
|
■センジヶ原と光岳
静高平にもどり先に進むとすぐセンジヶ原につく。センジヶ原は明るく開けた窪地で、ハイマツにぐるりと取り囲まれた別天地だ。ここには、大きな土まんじゅうのようなアースハンモックが発達している。これは構造土の一種で、植生に覆われていない部分が先に凍結し、植生のある部分を押し上げるためにできたとされている。最近、木道が設置されて植生や地形が保護されるようになったのは喜ばしい。
新しくなった光小屋の前をとおり、針葉樹林の中を光岳へ向かう。柴沢方面への分岐をすぎてしばらくいくと光岳山頂である。三等三角点のある山頂は展望がよくないが、西側に開けたところがある。さらに加加森山方面へ向かうと、途中に光岩へ降りる道がある。
|
|
▲センジヶ原のアースハンモック |
|
■光岩と周辺の地質
光岩は石灰岩の岩塔で、砂岩や泥岩を主体とする地質の中ではやや異質な存在だ。しかし、寸又川上流のリンチョウ沢や水窪川上流の白倉川でも、直径数cmから100mにも及ぶ石灰岩ブロックが点々とみつかっている。
この付近の泥岩からは、遠山川沿いで産出したものよりも少し新しい白亜紀末期(7000万年前)の放散虫化石がみつかっている。また加加森山に向かうと、白亜紀中期(1億年前)の放散虫化石を含む赤色チャートや緑色岩が分布している。チャートや緑色岩は海洋起源の岩石で、7000万年前にプレートが沈み込む際に砂岩や泥岩と一緒に陸側に付加したと考えられている。
光岩のような石灰岩も、多くは遠洋でできた石灰岩で、チャートなどと同じように泥岩中に取り込まれて付加したものだろう。
|
|
▲光岩と深南部の山々 |
|