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■上松Aコース

■駒ヶ岳信仰の道

■北股沢の土石流と土石流堆積物

■霊神の碑と敬神ノ滝

■紅柱石ホルンフェルス

■金懸岩と水場

■自然林の尾根道と展望

■木曽前岳から見る北股沢

■木曽前岳の風衝砂礫地から駒ヶ岳山頂まで

 このルートは1891(明治24)年にウェストンが歩いた道だ。ウェストンは早朝に上松を出発し、駒ヶ岳山頂を経て1日で伊那まで歩いてしまったという。山麓の駒ヶ岳神社里宮をはじめ登山道沿いには多くの石碑があり、古くからの信仰の道だったようだ。

 このルートは滑川とその支流北股沢とに挟まれた尾根にある。この二つの沢は激しく谷頭侵食しており、土石流を頻繁にだす河川だ。多治見砂防国道事務所では土石流のビデオ映像が撮られており、インターネットで公開されている。

 ここでは数多くの石碑や地名から歴史や信仰を感じることができるとともに、荒々しい北股沢の崩壊地やその堆積地形を観察することができる。


▲上松A−木曽駒ヶ岳のマップ(カシミール3Dを利用)
▲北股沢谷頭の崩壊地と麦草岳(左)、牙岩(右)
■駒ヶ岳信仰の道

 アルプス山荘前に二合目の石柱と道標があり、ここが登山道入口となっている。背後にはたくさんの心明霊神の碑が並んでいる。ここは犬山乾山講社の霊場で、八十八夜には春の祈りが捧げられるという。

 2kmほど手前(西)の上松町徳原地区の駒ヶ岳神社里宮では、毎年5月3日に太々神楽が奉納される。白い天狗の面をつけた踊り手が宙に舞う姿が迫力満点らしい。この神楽は400年以上にわたって続けられていて国の選択無形文化財に指定されている。初夏の駒ヶ岳開山式の際にも奉納されるという。この里宮が1合目になっている。

▲二合目にある霊場
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■北股沢の土石流と土石流堆積物

 二合目から登山道に入ると、道は滑川と北股沢がつくった広い土石流氾濫源の中につけられていて、木橋をわたったり雑木林の疎林や岩塊地の中をしばらく歩く。これらの岩塊はおそらく土石流などで運ばれてきたものだろうが、大きさがそろっていてまるで高山帯の岩塊流のようだ。

 北股沢の上流には多治見砂防国道事務所によって滑川第一砂防堰堤や監視カメラなどが設置され、頻繁に発生する土石流に対応している。2004年8月18日には生々しい土石流の映像が撮影された。巨石を含んだ土石流本体はこの砂防堰堤の手前で停止し、水を多く含んだ後続流が河畔林をなぎ倒しながら堰堤を乗り越えていった。巨石を含む土石流本体は、まるで一つの生き物のような動きをしていた。

 滑川第一砂防堰堤の付近は滑川砂防公園となっていて、「砂防の父」とされているデ・レーケのレリーフが彫られている。デ・レーケは明治期のお雇い外国人の一人だ。2006年には砂防工事のために2合目からの登山道が通行止めになっていたので、ここから林道のゲートをくぐって敬神ノ滝へ向かうことになる。

▲北股沢氾濫原の岩塊(土石流堆積物)
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■霊神の碑と敬神ノ滝

 二合目から氾濫源を登ってくると、多くの霊神の碑をすぎたあたりで林道に上がる。林道の脇には、身を清める水場とともに駒ヶ岳教会の鳥居と霊場がある。霊神碑には宇気母智大御神と刻まれている。滑川にそって林道を登ると、敬神ノ滝小屋と木曽駒ヶ岳の石碑とが現れ、ここからが本格的な登山道となる。

 敬神ノ滝はこぢんまりとした滝で、霊神碑や祠がたっている。かつて多くの信者がここで身を清めて駒ヶ岳登山を行った。最近は信者が高齢化したために登山する人が少なくなったという。

▲敬神ノ滝と祠
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■紅柱石ホルンフェルス

 土壌の中から現れた花崗岩の巨礫や木の根を越えながら暗い植林地の中を登っていく。このあたりの地質は泥岩もしくは泥岩が熱変成したホルンフェルスなので、花崗岩礫は上流から運ばれてきたものだろう。三合目をすぎると大きなヒノキやブナが茂る自然林となり、足下に転がる石はホルンフェルスになる。黒いホルンフェルスには白っぽい長柱状の鉱物がめだつ。おそらく白雲母に変質した紅柱石の仮晶なのだろう。

 四合目付近までくると表面が白〜茶色の珪長質火山岩や灰〜黒色の閃緑斑岩が現れる。これらはホルンフェルス中に地下から上ってきた貫入岩だ。

 1720m付近で登山道沿いの土壌の色が明るい茶色になってくる。同時に木曽駒花崗岩の転石が現れるようになり、地質が花崗岩へ移り変わったことが分かる。

▲紅柱石ホルンフェルス
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■金懸岩と水場

 尾根の頭を巻くと格子状に割れ目が発達した不安定な岩壁とくずれおちた岩塊が現れる。地形図をみるとここは尾根の両側から侵食を受けてやせ尾根になっている。北側は幅500mほどの滑落崖となり、ここからくずれ落ちた岩塊が北股沢に段丘状の緩斜面をつくっている。南側は滑川の支流が深く谷頭侵食している。このあたりは非常に不安定な場所のように見える。

 すぐに垂直の節理が発達した金懸岩と小屋が現れる。ここが五合目で、御嶽山の展望が抜群だ。金剛水という水場があるが、ほとんど水が流れていない。1984年の長野県西部地震で枯れてしまったという。地震の大きな揺れが水みちを変えてしまったのだろう。

▲垂直な節理が発達する金懸岩
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■自然林の尾根道と展望

 ここからは岩塊地と原生林の道を歩く。足ものにはトウヒやコメツガの球果が転がっている。六合目付近の木曽駒花崗岩には東西から東北東−西南西方向の節理が発達していて、暗色包有物も観察できる。

 平坦地をすぎてやせ尾根を登っていくと、遠見場につく。ここには御料局三角点があり展望も良い。三ノ沢岳を背景にして不動明王の石像がたっている。天の岩戸をすぎると七合目につく。ここからは御嶽山や上松方面の展望がよい。

 シラビソ林のきもちのよい道を登り、蕎麦粒岳や南木曽岳、恵那山方面の展望を見ながら被さった巨岩の下を歩くと、滝の水音が聞こえてくる。滑川左岸にある滝の音なのだろうか。さらに登ると、ハイマツがでてきて樹間から北股沢谷頭の崩壊地が見えてくる。崩壊地の頭からは三ノ沢岳が正面にそびえていてすばらしい。すぐに霊神碑が並ぶ平坦地がでてきて、ここが八合目だ。

真っ二つに割れた花崗岩、天の岩戸
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■木曽前岳から見る北股沢

 巻道の分岐をすぎて木曽前岳へ登っていく。この付近では北股沢谷頭の荒々しい崩壊地とその下流の土石流氾濫源をぜひ見てほしい。崩壊した岩屑が土石流になって下っていくことが理解できるはずだ。金懸岩北側で大きくくずれおちた移動体の緩斜面も遠望できる。この移動体はすでにくずれがはじまっている。北股沢は谷頭でくずれた岩屑に、この移動体の岩屑が加わって大きな土石流となるのだろう。

 足下の花崗岩は木曽駒花崗岩で、ときどき細粒で白いアプライトの岩脈が入ってくる。花崗岩の節理は西北西−東南東方向になり、ときどき10cmほどの細かい間隔で入っている。

 山頂付近は凹凸が激しく、窪地には岩塊が落ち込んでいる。おそらくこの窪地は線状凹地なのだろうが、どちら側がずれ落ちているのかははっきりしない。

▲滑川第一砂防堰堤(A)と地すべり移動体(B)
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■木曽前岳の風衝砂礫地から駒ヶ岳山頂まで

 木曽前岳から玉ノ窪山荘へ下りる道沿いには、ハイマツがなくて矮小木と高山植物が茂る砂礫地がある。おそらく冬季の風が強く雪がとばされてしまうためにハイマツが生育できないのだろう。

 矮小木の緑と砂礫の白がつくるモザイク状の模様が美しい。よく見ると階状土ができている。地表付近の砂礫がソリフラクションによって下方へ移動しながら、礫が分別されてできる構造土の一種だ。

 玉ノ窪小屋前の石垣には九合目の石柱がある。石垣の間をとおって烏帽子岩と心明霊神の像を見ながら登っていくと、頂上木曽小屋を経て駒ヶ岳山頂に着く。山頂からは360°の展望が開け、一等三角点がある。傍らには木曽側と伊那側の二つの駒ヶ岳神社がある。

▲玉ノ窪小屋西方の階状土
▲玉ノ窪小屋と烏帽子岩
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